気付き
2022/04/06
「どうかした、久遠ちゃん?」
いつもと若干様子の違う彼女に、そう声を掛ける。緩慢な動作で、こちらに視線を寄越すと、瞳がようやく朧げに焦点を結んだ。
「ん……、ちょっと……気になって」
歯切れ悪くそう言ったあと、久遠ちゃんは逸らすようにじわりと視線を外す。目で追いかければ、先ほどから流しっぱなしになっているテレビの方に向けられる。――その画面に映し出されているのは、俺の|生業《お仕事》であるAVだ。しかも、割合良く久遠ちゃんと見る機会の多い資料映像ではなく、紛うことなき《《俺の出演作》》。
「ん、気に触ることでもあった?……一旦、止めようか?」
聞き分けが良すぎるきらいのある彼女が、途中でこういう風に言い出すのは珍しい。……というよりも初めてのことで、思わず慰めるように恋人の頭を撫でて、ほとんど反射でそう聞いた。
彼女――久遠ちゃんは、普段はこれ以上ないくらいに、俺のお仕事に協力的な子だ。さすがに嫌だろうからと、やや過激な内容に分類される出演作のチェックは彼女の前では避けてはいたけど、そうじゃない俺の出演作は、《《ふたりで見ることが常なくらい》》に、理解がある。
いつだったかトーちゃんや岡持っちゃんにその話をしたら、揃って呆然としたあとで「久遠さんに感謝すべき」と口酸っぱく言い含められたほどだ。俺としても、資料映像の確認から、それと同じ内容のプレイまで付き合った上で、恋人の出演作を平常心で見られる〝《《普通の》》〟女の子は、後にも先にも彼女だけだろうと思う。
……今日かけていたのは、そこまで過激な内容というわけでもないかもしれないけど、これまでなら俺ひとりで目を通していたような内容だった。やっぱり気分のいいものじゃなかったかな、と眉を下げる。彼女の寛大さに甘えすぎていたかもしれない。「ごめんね」と薄く唇だけで呟いて手を伸ばし、リモコンを取るためにすこし体勢を変えようとした――ときだった。
「待って、千弘さん……そうじゃ、なくて」
慌てたように追い縋ってきた小さな手が、俺の手首を掴む。視線を下げると、気まずそうに眉を下げて、「ええと」と言い淀む彼女と目が合った。
「いいよ、なんでも言ってほしい」
もう片方の手で、形の良い頭をあやすように撫でる。その間にそっと息を吐いて、俺自身の心の準備も整えてから、ようやく尋ねた。
「どうしたの、久遠ちゃん。嫌……だった、かな。こういうの、一緒に見るのはさすがに」
そう言って、俺も視線をテレビ画面に移す。それなりの大きさのモニターいっぱいに、映し出される俺と女優さんの姿。出演作のチェックを名目にしてはいるけど、どうせ初見の内容はもう一度落ち着いて目を通すか、すでに一度目を通したあとの作品だ。資料映像のように、内容をそのままなぞることすらしない。彼女は俺の恋人で、仕事相手ではない。だから俺も〝演じる〟ことはしていない。彼女が《《一番乱れてくれるように》》、そのときどきで変えてはいるけれど。他の人からすれば、なにが違うのだと言われても仕方のないようなこだわり。
――俺のエゴ。
「ちが……っ、あの!千弘さんっ、違うんです……!」
真っ赤に染まった頬が、さらに朱を増す。想定していた反応と違うそれが返ってきて、わずかに戸惑う。頭を撫でていた手を、そのまま頬に下ろして肌に触れた。……あたたかい。よく知っている体温が、肌から伝わる。
久遠ちゃんはそういう職業のプロじゃないから、素直な反応が体温や鼓動に出る。俺だって、彼女とするときはそうだ。映像では伝わらない、鼓動だけが――演技か本心かを、ただひとり、伝えたい相手だけに伝えてくれる。
「……嫌じゃ、ない?」
思わず、ぽろりと言葉が溢れる。子どもが悪戯を咎めた親に尋ねるような響きを伴って落ちた言葉に、久遠ちゃんの視線がこちらに向けられた。その目が、やさしく細められる。手首に添えられたままになっていた手が、するりと肌を撫でて、指先を絡めるように繋がれた。もう一方の手が、ややあって伸ばされて俺がしているのと同じように、頬に触れる。ふわりと笑って、彼女があやすように言葉を紡ぐ。
「嫌じゃないです。……泣きそうな顔、しなくてもいいんですよ。千弘さん」
指先で、愛おしむように肌を撫でられて。無意識のうちに強張っていた表情筋が、ほっと弛むのを感じた。
「……不安にさせて、ごめんなさい。今見てたの、その……普段は千弘さんがひとりで確認してるような内容の、って言ってました、よね……?」
躊躇いがちにそう質問されて、意図を図りかねたまま、俺は「うん」と頷いた。
「……あの、気のせいだったりしたら、忘れてほしいんですけど……」
――そう前置きをしてから、ひと呼吸置いて。久遠ちゃんが、ようやく続く言葉を口にする。
「あの……、これって、普段……その、してること……じゃないのかな、って……」
思ってですね、と口の中でもごもごと紡がれた音。虚を突かれて、一瞬ぱちくりと瞬きをしてから、俺は思わず笑った。
「ああ、ふふっ……♡ なぁんだ、そんなこと気にしてたの、久遠ちゃん?」
「そんなこと……!?私、結構真剣にあれ?って思ったんですよ……?」
「ふふっ、忘れちゃってるみたいだから、特別にもう一回言ってあげる♡ ……〝俺たちだっていつもおんなじようなコトしてるのに〟って、前に言ったの……そういうコトだよ♡」
年末の大掃除中にも、事務所からもらった特殊プレイのAVのパッケージを見て、固まっていた久遠ちゃんに同じことを言ったことがある。彼女もすぐにそれを思い出したのか、これ以上ないほどに顔を真っ赤にした。――まあ、そのとき見つけた|AVの内容《特殊プレイ》をなぞるようにして抱かれたのだから、自分がされていることが|普通のコト《ノーマル》ではない、という自覚はあっただろうけれど。
……ただ。今日彼女に見せているのは、調教モノの内容だったし、言いたくなる気持ちも汲んであげるけど。
「な……っ、え……?」
混乱して言葉が出てこなくなった彼女が、必死に言われた意味を咀嚼しようと眉を寄せて、百面相をする様を上から眺めて。下手な不安なんて、久遠ちゃんの前ではいらないんだな……と、自身の認識をもう一度改める。
「あれ、久遠ちゃんは俺にこうされるのだーいすきだし、壊されちゃってもいいんでしょ?」
最近、輪をかけて強くなった気持ちを、同じだけ彼女が向けてくれていることを確認したくて。何度か尋ねたそれと、同じことをまた問いかける。
「……千弘さん、いじわるですね……。そう言っておいて、壊してくれないのに……」
むうと膨れた頬が、彼女の不満を主張する。けれどそれも長く続かないことを、俺はもう知っているから。
「でもまあ、調教してるつもりはないよ。俺はただ、久遠ちゃんとふたりで、もーっと気持ち良くなりたいだーけ……♡」
――言った内容は事実だ。たしかにほとんど調教だろうと言われれば《《そう》》ではあるけど、俺にそのつもりはない。最初に彼女に言った通り、俺は俺のすべてをもって愛して、愛して……〝この世でいちばん、天国に近いトコ〟に連れて行ってあげたいだけなのだ。最初からそれは変わっていない。変化があったとするならば、元々素直に快感を受け止めることができた俺の恋人の身体が、さらに深く――より強い快感を受け止められるようになった、ということ。俺が、久遠ちゃんのことを〝いつかこの手から離れて行ってしまう存在〟として捉えていたのが、いつしか〝何があっても手放したくない存在〟として《《誰にも渡さないこと》》と、《《解放してあげないこと》》を決めたこと。俺たちふたりがお互い、互いのことをもっと知りたいと欲張りになって求めるようになったこと――くらいで。
気が散って忘れていたであろう、膣内の存在を主張させるように彼女の好きな場所にぐり、と押し付ける。驚いて声を上げ、白い喉元を晒すように背を反らした、自分よりも遥かに小さくて細い肢体を、全身の圧で押さえるようにもう一度見下ろして。にこり、と微笑みかけた。
「……ね、これからもずっと、一緒に気持ち良くなってくれる?」
「千弘さんが……天国に。連れて行ってくれる、んですよね?」
――珍しく、甘えるような声音でそう問われて。〝してやられたなぁ〟と、喉奥で笑う。
「そうだよ♡ ……今の久遠ちゃんなら、前より天国に近いトコにいるの、わかるでしょ?」
そう言って、耳元に口付けると耳朶を食むようにして囁いた。
〝今目の前にいる俺だけに、集中してて〟――と。