to soak into

2023/05/24


ふん、ふんふふん……と愉快そうな鼻歌が石造りの城の中で木霊した。柄にもなく浮かれてるなぁ、と自分のことながら他人事のように考える。けれど仕方がない、ようやく焦がれた存在が手の届くところにまで近付いたのだから。
鼻歌を口遊みながら、手に取った真っ赤な林檎に視線を落とした。そのまま形を確認するようにくるりと手の中で回し見て、つるりと滑らかで艶やかな皮の上に指を這わせる。俺のあまり明るくない肌の色ですら、その赤は鮮やかで白を際立たせた。きっとあの子の真白い肌は、この赤に一際よく映えるだろう。そう考えたら、くつくつと胎の底から笑いが込み上げる。純真無垢なあの子を体現するかのような色。透き通る磁器のような、そんな穢れを知らない色の肌。その雪のような肌と対照的に、血色の良く赤く熟れた果実のように色づいた唇。形の良いそれがこの果実に触れるところを想像すると、ぶるりと背筋を淡い電流が駆け上る。
「あの子の口に入るものだもん、丹念に真心込めて作らなきゃね……♡」
ぐつぐつと煮えたぎる音を立てる音が眼下から響いて、肌が粟立つようなぞくぞくとした快感を感じながら俺はうっそりと目を細めた。
倒錯している。それは自分でも理解している。けれど今さら止まれないのだ。手に入れたいと欲して仕方のないものを、どうしたって渇望する心は理性とは裏腹に欲深くなっていく。否、理性が冷静であろうとすればするほどに……その欲も執着も、深くなっていくのだ。焦がれこの身を焼くほどの存在が素直に手中に堕ちてきてくれないのなら、答えは単純明快な話。彼女の方を俺のところに堕としてしまえばいい。手に入らないのなら誰のものにもならなければいいと考えた頃もあったけれど、遠回りをして今になってようやく俺が得た答えは、それよりもっとずっとシンプルなものだった。俺の下にいてくれさえすれば、あとはどうとだってできる。占星術、黒魔法、錬金術……|魔女術《ウィッチクラフト》、黒魔術、変装、妖術そして毒薬。そのどれをとっても素直なあの子は耐性がなく嘘を容易く信じてくれるし、俺はそれに精通しているのだから。素直で綺麗なあの子と反対に、妖しく絡め取る捕食者のような手法が、俺の武器。
「ふふっ、あともうちょっと待っててね……♡」
くすりと笑って、手の中の赤に口付ける。ちゅと軽い音を立てて、触れた感触を名残惜しむようにゆっくりと唇を離した。これからこの林檎を毒に浸して、あの子の元へ持っていくのだ。俺の眼前で彼女は口をつけてくれるだろうか。はてさて彼女の心の臓がその音を奏でるのを止めたとき、どうやって俺のところまで引き摺り下ろそうか。今からそれを考えては気が逸る。そこまでして、今日は日課の|問い《アレ》をしていなかったなと思い至って背後の壁を振り返った。そこに掛けられたのは鏡。それに向かって俺はいつもの調子で問いを投げた。
「鏡よ鏡、|白雪姫《あの子》はどこにいる?」

◇ ◆ ◇

「ふんふふんふーん……」
カチャカチャと音を立てて、そのままにしていた彼女の私室の配置を変えていく。部屋の中央には、彼女の身体に合わせて誂えさせた硝子の棺を安置した。もちろん、その棺の上には棺の主が収められている。仮死状態の彼女を収めた棺には時を止める|呪《まじな》いがかけてあった。これで大事な大事なあの子の身体は、綺麗なまま時を止めることができるのだ。……そう、世界で一番美しいまま。
ちらと一瞥するだけでもわかるほど、暗い城の照明でも輝くような白絹の肌。鼓動を止めてもなお色褪せることのない頬と唇の赤は、その白さを一層際立たせていた。
「よし、これでいいかな~♡」
くすくすとちいさく笑って、彼女に相応しくないものは取り払った部屋を完成させた。これでようやく、彼女に向き合える。待ちに待ったその瞬間に、胸が震えた。
目を細めて、横たえられた身体に視線を落とす。直接触れることを躊躇してしまうほど、きめ細やかな肌は月明かりを浴びていっそ神々しいほどだ。陶磁器のようだなと、こうして改めて間近で見るとそう思う。少しも動かないその肉体は、まるで|磁器人形《ビスクドール》のようだった。俺だけの、かわいい可愛い愛玩人形。他の誰の目にも触れずともいい。その美しさも清廉さも、外見に過たず澄んで穢れなく高潔ですらある魂も。誰も、知らなくていい。……俺以外の誰も。あの子の目に映るのも、あの子が知っているのも俺だけでいいのだ。俺だけを見て、俺だけを呼んで、俺にだけ笑いかけてほしい。
硝子の棺に|納《﹅》|め《﹅》|た《﹅》のは、彼女の良さは隠すのではなく曝け出し……鑑賞するべきものだと考えているからだった。けれど欲深く浅ましい俺の我欲は、その純真で朗らかな魅力と危うい均衡で成り立つ艶美さを、ただのひとりにも知らせるべきではないと叫ぶ。
落ちた一点の染みが広がって、その画布を染め切ってしまえばいいと胎の底で本音が叫ぶのだ。どこから見ても、頭の先から爪先……睫毛一本一本ですら真白い彼女を。熱で溶かして黒で穢して、俺の色にしたいと理性を食い破って仄暗い獣性が渦を巻く。きっとあどけなさを残したまま、芳醇すぎるほど濃厚な色香を放って彼女は咲き乱れてくれるだろう。俺の期待に過たず、もしくは期待以上に。そうしてそうなったら、彼女にはすぐに虫が湧いてしまうだろうと言うのも、容易に想像がついた。それこそ、蜜を湛えた花には蝶や蜂など様々な虫が群がるように。
「何がいいかなぁ、お薬?うーん……でも、あの子は幼少期からずうっと|情操《そういう》教育を受けてきてるし。それのおかげで絶対に拒絶されるだろうしなぁ……。初めてだもの、とびきり素敵でとびきり甘くて、それでいて脳髄から蕩けて虜になるような……そんな記憶に残るものにしたいよねぇ♡」
自然と湧き上がった笑みが止まらない。くすくすと衝動に任せたまま肩を振るわせて、笑んだ。
「あはっ、いいこと考えた……♡」
——どうせなら、彼女から求めてもらいたい。けれど未だ穢れを知らず気高い彼女に、いきなり求められるはずもない。であれば、錯覚させてしまえばいい。彼女にとっての俺が、そうするに値するほど大きなものだ、と。

◇ ◆ ◇

それからの俺の行動は早かった。彼女の仮死状態を解いて、催眠をかける。キミにとって俺は大事な存在で、俺に恋焦がれているのだ……と。そうして記憶を混濁させる術を同時に行使して、正常に記憶を取り戻すことを防ぐ。惚れ薬は敢えて特定個人へ作用するようにはせず、『彼女にとって好ましい相手』かつ、刷り込みのように効いてくる目にすることが多い相手へ惹かれるように調整した。一度好ましいと感じる相手ができたら、その相手を目にすると強制的に一日中発情するよう重ねて呪をかける。自身で止めることのできない情動は、やがて正常な思考を彼女から奪うから。
そうしてただ毎日、ひたすらに甲斐甲斐しく彼女に傅いた。この城にいるのは、俺とあの子のたったふたりきり。毎朝彼女を起こし、髪を梳き服を着替えさせ、入浴も俺が介助する。食事はもちろん、俺が準備してふたりで摂る。これまでの険悪な仲から想像できないほど容易く、彼女は俺に懐いた。
「鏡よ鏡、あの子の心はどこに在る?」
「……未だ、彷徨っている」
こうして毎日問い掛けては、間近で下女働きのようなことをして尽くすうち、彼女の様子が変化した。それまでも入浴の補助や着替えには難色と照れを滲ませ、白い肌を紅潮させて恥じらいを見せてはいたのだ。
「……ん、あれ?急にどうしたの、身体つらい?」
くたりと脱力して、俺の腕にその重みすべてが預けられる。すり、と泡を伸ばすようにして腹部へ優しく触れると、如実に身体が震えた。顔を覗き込む風を装って、吐息が触れるほど間近に顔を寄せる。
「い、えっ……なんでも、ないんです……。すこし、熱っぽく、て……」
もじもじと膝を擦り合わせ身を捩りながら、僅かに視線をこちらへ返して彼女がそう返答した。鼻先で弾けた吐息の熱っぽさと、手から伝わる熱さに間違いなくその肢体が情欲の火を灯したことに気がついて、歓喜に打ち震える。潤んだ瞳は一気に淫靡な熱を帯び、赤い舌が同じだけ赤い唇を、湿らせるようになぞった。陶磁器のような肌が身動ぎの合間、微かに掌に押しつけられる。ゾクゾクと肌が粟立って、喜びで脳髄を揺らすほどの痺れが齎される。
「本当だ、熱っぽいね……。今日はもう身体流して休もうか」
そう言葉をかければ、素直にこくんと頷く。
——それからは、今まで以上に増して時間を共にすることが増えた。寝台の上で横になり、耐える彼女の傍らにずうっと控える。そんな生活。ときおり一切の術を解き、揺さぶりをかけてもまだ……彼女は俺の存在を拒絶せず、受け入れる。そんな日が、三ヶ月ばかり続いた。

◇ ◆ ◇

ひゅうと息が吸い込まれ、細く甘い声が頭に抜けた。
「ァ、ぁ゛……ァアっ♡♡」
びくんと一際大きく身体が跳ね、綺麗な白い背が弓なりに逸らされる。ぶつりと何かが切れる感覚がして、俺の上に跨がる彼女の瞳に像が結ばれた。
「んっ……あーあ、破瓜の痛みと出血で全部いっぺんに解けちゃったねえ?」
かたかたと震えながら、その双眸が俺を射止める。
「ぉかあ……さま?チ、ヒロ……さん?」
自重で圧の加わっていく身体に鞭打ち、それでも尚、彼女は目尻に涙を浮かべて震えた声音で俺を呼ぶ。
その日もこれまでと変わらないと思っていた。まだ誰のものでもないその肢体を抱え、胎の底から泉のように湧き上がる情動を、今日も彼女は目を閉じ唇を薄く食んではやり過ごす。苦悩し寄せられた眉が、温和な顔立ちを歪めて歪な征服欲を刺激した。そのはずが、シュミーズを着せ寝台へ運んだあの子が、蹲るように頭を預けた——はずだった。そのはずが、今日は夢現のまま事が進んでいくのをどこかで俯瞰する俺が見ていた。
「……ッ、ぅ♡チヒロ、さ……なんで……」
息も絶え絶えに尋ねられた言葉に、俺は口角を吊り上げる。もう少しだ、もう少し。もう少しで、真っ白で純粋無垢なこの子が、手中に収まる。
「俺に聞くの?……キミが、したことなのに?」
ぽたり、と白の中にただ一点の黒が落ちる。白すぎる画布は、その色を瞬く間に吸収していった。ゆらゆら揺れる瞳が、所在なさげに大きく揺れて、俺を見上げる。
「ふふ、記憶あるでしょう?だからそんな風に困ってるんだもんね。可哀想な子、自分の手で決定的な梯子を外してしまって……もうどこにも戻れない」
添えられた華奢な手が、震えた。手を伸ばせば、びくりと肩をも震えさせて。どうしよう、取り返しがつかないことをしてしまったと……湖面のように穏やかな瞳が、今はゆらりゆらりと何度も波紋を描く。
「わたし、わ……たし……っ!」
伸ばした手が、肩に触れた。華奢な身体が跳ねた拍子に、寸前で留めていた手が浮いて、そのまま自重で腰を落とす。ごちゅんっ、と派手な音が響いて、ナカが耐えきれないというように震えた。腰までガクガクと揺らして、彼女は白い喉元を晒すように仰け反って。それでもまだ、白雪は気高く澄んでいる。
かちりとどこか遠くで音がして、今この瞬間を待っていたのだと思わず唇を舌でなぞった。熱に浮かされたように、口から溢れた言葉を引き金に……最後まで在ろうとした理性が、押し流されるのを感じる。ふたりともに。
「ほぉら、もっともーっと……最期まで俺の上で踊ってよ♡」
一瞬でも早く、深淵の闇の色で染まり切って。この享楽を貪るなら、俺の手で俺のところに堕ちてきて、けれどキミの意思で抗わないキミとがいい。そんな感情を胸の内で吐露しながら、細い腰をぐっと抱き寄せた。


「鏡よ鏡、あの子の心は今何を見てる?」
「……それは、ずっと貴方だけを」


ふたりきりの城の中、今日も同じ問答を繰り返す。