手が掛かるほどなんとやら
2023/01/23
ぶるっと身震いするような寒さを覚えて、途端に意識が浮上する。ぱちりと目を開いて、ぼやける視界を何度か瞬きをして床の上に座り込んだまま整えた。
煌々とついたままの部屋の電気に、やや散らかったままの部屋。すん、と鼻を鳴らせばたこ焼きの匂いがまだうっすらと残っている。
「さむ……って、それもそうか……。服脱ぎ散らかしたままや……」
その辺に散らばったままの衣服を集めてから、そっと隣で寝息を立てている家主兼恋人を振り返ると、大変に満足そうな寝顔がそこにあった。たこ焼きで大盛り上がりした後、盛り上がりのまま一戦交えて早々に寝落ちしたことを思い出す。じわじわと熱くなってきた熱を振り払うように、ぶんぶんと大きく一度頭を振った。
「そりゃあ煌雅くんも疲れてるよなぁ、仕事忙しそうやし……」
あとでベッドに運んでくれると言っていた張本人も服も着ないまま床で寝ているところを見ると、自分のすぐ後に寝落ちしたのだろう。彼の分の服もさっさと回収すると、洗濯機に入れるついでに自分の着替えを済ませて煌雅くんの部屋着を取ってくる。このまま床に転がしておいては、風邪を引きかねないしどうしたものか……と、ぐうすか寝息を立てる彼の傍にしゃがみこんだ。
「おーちゃーん、おーちゃん……一回起きて〜。……アカンなぁ、もう完全に死んでるわコレ……」
名を呼びながらぺちぺちと頬を叩いてみるが、なにやらむにゃむにゃ言うだけで一向に起きる気配がない。ごろん、と寝返りを打つだけである。
「んー、どうしよこれ……。煌雅くんの方が身体おっきいんやし、冷えるん早いやろうに……」
お腹冷えるでー、と呼びかけてみるが変わりはない。困ったことに、こういうとき身長差と体格差の大きな煌雅くんと自分ではろくすっぽ彼を動かすことすらままならないのだ。
「あんまり起こしたくないんやけどなぁ、起きたら起きたときか……」
はぁ、とひとつ嘆息すると彼の下着を手に移動する。とりあえず裸のまま放逐しておくわけには行くまい、という思いではあるのだが、これはこれで今のタイミングで目を覚ましたら確実にニヤニヤとした表情で楽しげに「きゃー、しおんのえっち♡」などと言ってくるサマが目に浮かぶ。ちょっと面倒なので、その流れは遠慮したいところである。
「……くっ、こんなときちょっとこンのなっがい脚、腹立つな……!?」
両脚を通すのがまずひと苦労で、起こさないよう細心の注意を払っていることもあり、余計に時間がかかる。格闘すること数分——、なんとか下着とスウェットを履かせ終わった頃には、ぜえはあと肩で息をする羽目になっていた。
「えぇ……、もう上裸で転がしといたらアカンかな……。アカンよなぁ……」
脱力しきった人間の身体というものは、思った以上に重いんだなぁなどといらぬことを考えつつ、すっかり夢の中の彼を見下ろした。パーカーを着せようにも、腕を入れては寝返りを打つ間にすっぽ抜け、再度挑戦しようにも頭を上げつつ服を着せる—――という工程の難易度に、心が折れかかっていた。この上ベッドまで運ぶのは確実に無理なので、いい加減鼻でも摘んで起こすしかないだろうか。
……そんなことを考えていると、ごろりと寝返りを打った煌雅くんがようやく、仰向けの姿勢になった。
「助かった〜!」
小さな声でそう言って起こさないよう、体重をかけないように彼の上体を跨いで床に膝を着く。にじり寄るようにして頭の方へ近付きながら、そっと両腕を胸元まで引き上げて……後頭部に手を添えた、瞬間だった。
「んぉ……?」
寝ぼけ眼の淡い黄色の瞳と、真正面から思いきり目が合った。
一瞬の静寂が部屋を包んで、気まずい空気が流れる。いっそこのまま「なんや夢かァ」とでも言ってもう一度寝てくれへんかなぁ、などと祈る気持ちで身じろぎもせずに待ってみたのだが——現実はそう甘くはなかった。
にーっ、とゆっくり眼前で口角がつり上がっていく。目視した瞬間に、なんとか彼の上から退こうと腰を浮かせたのも……遅かった。腰を浮かせた瞬間に、がしっと思いきり大きな手で掴まれて、「うわっ」と気の抜けた声が漏れた。
こうなってしまったら、静寂を破ってしまった私の負け。
「なんや、ごっつええ目覚めやな〜♡ しおん、俺の上跨って手ぇ取って、なにしてたん?寝込み襲うとかやらしーなァ?」
楽しげな猫目にじぃ、と見上げられて「ああもう〜っ!」と悲鳴じみた声を上げた。わかっていてこう言っているときの煌雅くんは、タチが悪い。
「ぜっっったい、わかってるやろ!そもそも襲ってへんし……ッ!」
「えー、そんな言い方されたらおーちゃん寂しいなぁ……。ほんで、否定しながらも顔真っ赤やでーしおん♡」
よよよ、と泣き真似をした直後ににっこり満面の笑みで追撃を放たれる。今現在の体勢が恥ずかしい、という常識的な羞恥は今この瞬間捨て去るべきやったなぁ……と天を仰いだ。もちろん、言葉にしきれない綯い交ぜの感情から……である。
数度呼吸を整えてから、極力平坦な声を絞り出す。
「そりゃバツは悪いわ!上裸で寝転んでる煌雅くんの上にのしかかってる図、自分の状況俯瞰したら普通に恥ずかしいし……っ!」
「んはは、まあそうやろな〜♡ 俺はめっちゃ最高の目覚めやけど♡」
「二回も言わんでええから」
ぴしゃりとそう言うと、煌雅くんは人懐っこい相貌を崩してわずかに眉を下げ「ハイ」と頷いた。
「……ていうかそろそろ放してよ煌雅くん、腰浮かしてんの地味にしんどい」
もぞりと体勢を整えてそう言えば、腰を掴む手からほんの少しばかり力が抜ける。そういうとこ優しいし甘いんよなぁ、とつられるように眉を下げた。
「えー、せっかく服着さしてくれてたんやし、このまま最後までちゃあんと着せてえや♡ な?ええやろ〜?」
「わざわざ一番しんどい着せ方で続きさす!?……ええけど、ほんまに無理やから頭は自分で上げてな?」
「よっしゃ、着せてくれるんやったら任しとき〜♡ タイミングばっちし合わして頭上げたるわ♡」
楽しげに応じてにこにこと破顔されてしまうと、どうにも断れない。我ながら弱いなぁ、とひとつ嘆息してから離していた手を再度パーカーにかける。
「ん、じゃあ行くで。はい煌雅くん、ばんざーい」
「おう、あんじょう頼むわぁ♡」
着せやすいようになのか、小さくばんざいをした彼を見ていると先ほどまでの茶番が馬鹿らしくなってきて、ちいさく笑いが溢れる。ちゃんと宣言通りにタイミングを合わせて頭を上げるところもまた、可愛らしいところだなぁと思うと、なんだか妙にくすぐったい。
「……ん、これでちゃんと着られた?」
「あー、待って待って。起き上がるから背中の方、裾下ろしたってぇな」
ちゅーわけでちょおっと下の方までズレたってー、と言う声に合わせて太腿の上あたりまで移動する。動作に合わせるように起き上がった煌雅くんが、ささっと手早く裾を引き下ろしているとにへらと笑ってこちらを見上げた。
「ふは、寝落ちかましてもうて反省しててんけど……これはこれでごっつ幸せやなぁ♡」
またやってもらおかな〜、とふんふん嬉しそうに話す煌雅くんの様子に、すっかり毒気も抜けていく。
「……はずかしいから、頻繁にするんは嫌やねんけど……」
ぼそりと視線を合わさず抗議の言葉を返すと、すぐ傍で明らかに気落ちした声が響く。
「つれないこと言わんといてや〜!……いやでも待って、今しおん〝頻繁にすんのは〟って言うたよな?……ほーん?てことは頻繁やなかったらええ、っちゅうことやんな〜?」
によによとしたり顔の浮ついた声がそう尋ねてきて、言葉に含めた意味と意図ごと拾い上げて、やんわりと退路を断っていく。
「……今はええやろ、そんなん!ほらもー、身体ガッチガチに固まってまう前にベッド行こ!」
目覚めてもたら寝られへんなるやろ、と未だに固定されたままの身体を捩ってじたばたと手の中で踠いた。
「ベッドには行くけどやな……ちゃんとどういう意味で言うたんか言うてくれへんのやったら、このまましばらく解放したられへんなァ?」
にやりと意地の悪い笑みをひとつ溢して。すくっと立ち上がった煌雅くんの胸にしがみつく形で、すぅ……と手を離すような仕草をされる。いや、落とす気もなんにもないポーズでしかないのは明白な位置で、そっと支えられてはいるのだけれど。突然のことに必死でしがみつくしかなかった。
「ちょ、高い高い!しかもなんでこの抱っこの仕方!?」
「そりゃまあちょっとしたイタズラやし、いつも通りやったら反省せえへんやろ〜」
「最初荷物みたいに人のこと小脇に抱えとったのに……ズルない!?」
「そない言うけど……ベッド行ってもうたらしおん、秒で寝るやん。この状態ではさすがに寝られへんやろからな〜」
くつくつと愉快そうに喉奥で笑われて、返す言葉のなさにぐっと詰まる。もうちょっと起きとって、と言われた言葉を聞きつつも数え切れないほど寝落ちしてきた前科があるのは認めよう。「のび太並みやん」と言われたら反論できるワケもない。ぐぬぬとちいさく声を上げた後、諦めて口を開いた。
「〰〰ッ、たまにならいい……から!下ろしておーちゃんっ!」
「ん、素直に言えてえらいなぁ♡ おっしゃ、ちゃんとベッドの上に下ろしたるわ〜♡」
からからと笑いながらそう言った煌雅くんにベッドまで運ばれながら、こういうところが可愛いんよなぁ……と思っていることはそっと胸の内に秘めて。こんな風に馬鹿みたいなやり取りが出来るほど、気が置けない存在として認めてもらえていることが――じんわりと温かさをもたらしてくれる。
「……あのね、煌雅くん。ほんまに大好きやで」
胸に顔を埋めるようにして小声でそう告げれば、ほんのわずかに嬉しげに弾む心音すらも愛しくて。くすくすと笑って、その鼓動に耳を傾ける。
「……ほんっま俺のこと喜ばすん上手いなぁ、自分」
はーあ、と大きく吐いた息と同時、降ってきた声音に満足して目を閉じた。