思慕の感情

2023/02/25


「しおん〜、おーちゃんのお帰りやで〜♡ は〜、やっぱここが一番落ち着くわ〜♡」
そう言いながら、ソファの背から首を突き出してうりうりと頬ずりをする。ソファの上でくつろいでいた恋人は「煌雅くん、勢い強い……!」と苦い声を上げた。そうは言いつつ、動きを止めようとしたりはせんとされるがままになっている辺り、拒む気がないのは瞭然なのだが。ひとしきり頬ずりを終えると、しおんは頬をさすってひとつ大きく息を吐き出して、こちらを見上げた。
「……ていうか、煌雅くんなんかめっちゃご機嫌やない?なんかええことでもあった?」
「ンお?あー、なんやしおん……ま〜た今日の生放送見いひんかったな?」
彼女は元々、劇場にも足を運ぶ筋金入りのお笑い好きだ。今でこそライブへ足を運ぶ頻度も下がっているものの、お笑い番組も好んで見るし動画も見る。もちろん、俺の出る番組もチェックしてくれている……の、だが。どうにも『生放送』の番組だけは、出演時間に在宅であってもリアルタイムで見ようとしない。そんなわけで、はしゃいで帰宅すると毎回のように俺としおんはこのやりとりを重ねている。
まあかめへんけどやな〜とぼやいてから、ソファの前方に回った。すいと反対側に少し寄った彼女の隣、空いたスペースに腰を下ろす。ほんのわずかに落胆した気持ちがないと言えばウソになるが、あまり凹んでみせるのも強要しているようでいただけない。
「……ごめん、煌雅くん。応援してへんわけやないねんけど……」
ごにょごにょと口の中で気まずげに謝ると、しおんはふいと視線を逸らした。反射的にその視線を追いかける。なんでもないときに俺に対してしおんの物言いがここまで歯切れが悪いのも珍しい。っちゅーか、見た目に反してしおんは切り捨てるときはばっさり切り捨てる物言いをする。何度さっむいギャグを言っては白けた目で見られ、「それはナイやろ」とぴしゃりと容赦ない言葉を聞いたことか。
「……ええよ別に、言いたないこと無理に聞く気はあらへんし。それよりほら、いつも通りさっそく俺の勇姿見たってや〜」
ふと息を吐いて表情を緩めてから努めて明るくそう言い、リモコンに手を伸ばす。レコーダーを操作して、録画番組のトップにある出終えたばかりの番組を再生した。
「今日も頭からでええ?」
「ん……」
ちいさく頷いて了承した彼女は、ぽすっと頭を二の腕に預けてくる。言わずとも、甘えて心を許してくれているのはそれだけで伝わった。自分自身で自分のことを不器用だなと思う反面、普段は余程俺よりしっかりして見えるしおんもなかなかに不器用なところがあるなと……こうした瞬間にふと感じる。割合心を許した相手には、ぽろっと言葉を溢せる俺と対照的に彼女はこういうところで照れが勝つ。……というよりは、俺の『執着のなさ』を知っているがゆえにどこまでその想いをぶつけていいか測りかねている——と言ったところだろうか。
「どうせ甘えてくれるなら、俺の膝おいでぇや♡ な?」
悪戯っぽく笑って、つんと弾力の良い頬を指先で軽く突く。ぽんぽんと膝の上を叩いて示すと、戸惑い気味の視線がこちらを見上げる。ややあって、うっすらと耳朶を染めた彼女がわずかに腰を浮かせたのを見留めて、ぐいと身体を抱き寄せた。

◇ ◆ ◇

再生をはじめてしばらく。しおんはいつものようにすっかり俺に身体を預けて、番組に観入っている。ときおりくすくすとちいさく漏れる笑いに呼応するように、さらさらと腕の中で癖のある髪が揺れる。
他の誰かの取った笑いで楽しげにしているところを見るたび、絶対にしみちゃんともっと売れて、誰よりもこの子を笑わせてやれるようになったらんと……と、決意が強くなる。元々|相方《しみちゃん》と売れるのは目標ではあったものの、そんな風に子どもじみた感情を向けていることは相方にも彼女にも内緒だが。
……いや、しみちゃん辺りはすでに気付いていそうな気もすんなぁ。しみちゃんとは付き合いも長ければ、他人の変化に聡い男でもあるワケやし。
「ね、煌雅くん」
湧いた考えに眉を寄せて、渋い顔をして思案しているとふと彼女が俺を呼んだ。その声に我に返って、「どうしたん?」と問いかける。
こちらを見ないまま、進んでいく番組に視線を注いで、一挙手一投足をつぶさに目で追いながら。微かに甘えるような響きを帯びた声音で、彼女は続けた。
「……収録番組なら平気やねんけどなぁ。こうやって、あとで見るんも平気」
「……ん、おう?」
薮から棒に告げられた言葉の真意が飲み込めずに、曖昧に相槌を打つ。
「ライブや舞台の中継は平気なんやで。……でも、煌雅くんピン仕事の生放送だけがあかんの」
じわり、と。互いに触れた箇所から伝わる、高くなった体温は――果たして、俺としおん、どちらのものだろうか。
「生放送は『今、この瞬間』のことやろ?煌雅くんがおらんって言うのを実感して、なんか……」
そこで言葉を切った彼女が、ほんの少し。本当にわずかに、こちらを向いた。ほんのりと赤く染まった目元を、落ちた前髪が覆い隠していく。
「…………おーちゃんに会いたいなぁ、って。……寂しなるから、生放送だけは、ひとりじゃ見られへんの……」
ぽそりと、半ば吐息で消え入りそうな声でそう告げられる。口を開いて何かを言う前に、「以上!」と真っ赤な顔をしたちいさな恋人が、勢いよくテレビの方へと視線を戻して元通りの位置に収まった。その様子に、思わず毒気を抜かれる。
「ふは、そんなかわえー理由やったんか♡ そんならこれからも……こうやって帰ってきてから、ふたりで観ような♡」
クッションを握る彼女の手をそっと取って、にかりと笑ってそう言った。