やきもち

2023/07/29


「でな~、そン時にー……ってうお!?」
背後から抱き込むように話していると、突然ピリリとけたたましい音が鳴り響く。驚いて音のする方に視線をやると、ソファの座面に放り出されたままのしおんのスマホがアラームを鳴らしていた。
「ヤバ、もうそんな時間……!?」
焦ったような声を上げる彼女の様子に、思わず眉を寄せる。背後から抱き込むようにして座っていた姿勢から、顔を覗き込むようにして視線を合わせて口火を切るように尋ねた。
「なんや、なんのアラーム?」
この時間帯は俺の出演する番組があるでもない。特に予定があるとも聞いていなくて、自分でも思った以上に不満げな声が出た。
「ごめん煌雅くん、ちょっとタイム!今から十分くらいだけ集中さしてな」
「……え、いやまァ別にかめへんけど……なんで?」
恐らく、訝しんでいるように見えたのだろう。するりと猫のように身体を伸ばして鳴りっぱなしの携帯を手に取りながら、彼女がそんな風に言う。非常に申し訳なさそうな表情で。
構わないと返事をしつつも、突然のことに思考が追い付かずぱちくりと瞬きを数度繰り返す。
――しかし、返事は返ってこない。手にした携帯のアラームを止めた後、そのまましおんは携帯を操作して手慣れた様子でブラウザを開いてページを進んでいく。ついでに気合いを入れるためか、手近にあったワニクリップ型のヘアクリップで髪を纏める程の真剣さだ。
とりあえず元通りの位置に収まってくれたからヨシとするか……と思いつつも、動向が気になって頭上からちらりと次々と開かれていくページの行方を目で追った。互いに無言になった室内に、かけっぱなしのバラエティ番組のガヤだけが響く。
「は?ちょい待ち……その写真、こないだバズってえらい人気出たコンビの……!」
「あ、もう煌雅くん画面見たやろ!?そー、バズる前から決まってた単独やから箱のキャパ小さくて……。激戦必須なんよ今回……」
見たことのあるロゴを目にして思わず声が出てしまい、剣呑な表情をした彼女がこちらを振り仰ぐ。見間違いようのないそれは、先日ショート動画がバズって爆発的に人気の出たとあるコンビの単独ライブロゴだった。同じくらい……とは言わないが、ここ数週間でテレビ出演本数もめちゃくちゃに増えたばかりの若手芸人である。
「いやこの体勢やし嫌でも目に入ってまうねんから、しゃーないやろ!ちゅーかなんでや!|チゲコロ《俺ら》のこと捨てる気なん!?」
「アホ!そんなワケないやろ……ってああ、アカン待って……時間ないから詳しくはあとで話す!」
スヌーズが鳴ると〝待て〟を示すように掌をこちらにかざして見せたしおんは、すぐに顔をスマホに向けてしまった。ぐ……っ、と言葉に詰まるしかなくなった俺は手持ち無沙汰なまま彼女の肩にぼすりと顔を伏せた。一種の抗議である。
「ちょ、もう~煌雅くん……ええけどそのままじっとしててよ……?もうちょいで単独ライブのチケット販売開始なんやから」
「やっぱライブ行く気なんやん!浮気やろ浮気、おーちゃん悲しぃて泣いてまうけど!?」
唇を突き出して拗ねのポーズを作ってみるものの、しおんは「はいはい」と軽くあしらうだけでこちらに視線すら向けてくれなかった。その上、無感情に「後でよしよしして慰めたろ」と他人事だ。……いやなんでやねん!
「はー……ログインは終わってるしページも大丈夫やろ。一分前やしそろそろ時報チェックして、十秒前になったらページ戻ってリロらんと……」
そんなことを呟きながら、別タブで開いた時報ページに移ってひたすら時計と睨めっこを続けている。おもろないな……と肩に顎を乗せたまま、真剣な彼女の横でじとりと時報を睨み付ける。
時間まで残り十五秒を切った時間表示を眺めて、おもろないな……と内心でぶすくれつつぼんやりと『俺らの出てたライブに来た時もこないしてチケット取ってたんかな』などと考えた。まあかなりの前方席でライブ見てくれてたし?お笑いが好きなんも知ってはいる。
そこまで考えて、「いややっぱあかんやろ」とはたと我に返った。……俺がそうであったように。こんだけ目惹く容姿してんねんから、いらん虫が寄ってくんのとちゃう?
そう考え出したらむくむくと不満が膨れ上がって、完全に思考が嫉妬心で占領されていく。そもそも俺とおる時間に例え十分だろうと別のヤツらのこと考えてるんがもう納得いかんけど……!?
「よっし、リロるタイミングばっちり!これはイケ……ひゃあッ!?」
時間とほぼ同時、しおんがページをリロードするタイミングに合わせるようにして無防備に晒された首筋に舌を這わせると、上擦った声が聞こえてきた。れる、とわざとゆっくりと舐め上げてやるとびくっと大きく跳ねたその手からスマートフォンがごとりと床に落ちる。
「ッ、こらおーがくん……っ!ほんまに今はあかん、って……!」
「いーや、俺もう十分ちゃあんとガマンしたし?これ以上は待てって言われてへんはずやけどなー♡」
携帯を拾おうともがく恋人の腹部にぎゅうと手を回す。体格差のある以上、そう簡単に抜け出せないのをわかっていて敢えて拘束した。不満と拗ねと、俺らの力関係の再確認も兼ねて。
「だ、から……十分《《くらい》》ってちゃんと言ったやん……っ!」
「他の事やったらガマンできたんやけどなー、やっぱ目の前でそない真剣なカオして他のコンビのライブチケ取ろうとされたら……アカンかったわ」
抵抗を示す彼女の身体を片腕と両足で拘束して、もう一方の手で顎を掴む。
「堪忍な♡」
そう言って開いたままの唇に舌を捻じ込んで、逃げるちいさな舌を絡め取った。後はもう、ただいつも通りに咥内を撫で上げ混ざった唾液を嚥下させる。
「っふ……ン、んん〰〰ッ♡」
徐々に抵抗の力が弱まっていくのを確認しながら、二度三度と角度を変えてそれを繰り返す。完全に力が弱まったところで口を離すと、肩で息をしたしおんが真っ赤になった顔でこちらを睨んでいた。そうは言っても、すっかり潤んだ瞳で睨み付けられたところで怖くはない……というか、煽るだけなんをいい加減覚えてほしいもんやけど。
何かを言いたげではあったものの、大人しく床に落ちた携帯を拾い上げて諦め悪くリロードをした画面に表示されたのは〝SOLD OUT〟の文字。
「ああ゛ー!もうッ!」
その文字を見た途端、彼女が悲痛な声を上げる。……そんな悔しがるくらいあのコンビにお熱なん?と、じわりとまた不満の炎が燻り出したところに携帯を放り投げながら彼女がこちらを向いた。その目は先ほどまでとは違い、完全に怒っている。
「煌雅くんッ!私のことライブにおったん覚えてるんやったら、友達と見に行ってたんも覚えてるよね!?」
「……え?藪から棒になに……!?あー、友達?たしかになんや仲良さそうな子とおったな……?」
「今の!チケットは!その友達の分!!『元々割と見てたコンビやったんやけど、今回激戦そうやしチケ取り手伝って~』って言われたの!!」
「……は、え?ちゅーことはあれか、別にあれしおんが観に行くライブやなかった……ってことか!?」
「そういうこと!だから浮気とかちゃうって言うたやん、煌雅くんのアホ〰〰〰!!」
むぎゅうと思いきり鼻を摘ままれて、思わず目を瞑った。
「い、痛い痛い……!しおんごめんて……!それはさすがに俺が悪かったから謝るから、な……?!許して、ちょ……っ!しおん、しおんちゃーん!?」
言い募るごとにぎゅうぎゅうと強くなる力に思わず「いでで」と声を上げ、ついでに両手も上げて降伏を宣言する。
「なによりも普段からちゃんとずっと傍におる、って言うてるの信じてもらえへんかったのが傷つくねんけど……!」
「ごめ……っ、すまんしおん……!信じてへんかったワケちゃうねんて、ただの嫉妬やから許して……!?そろそろ息苦しい……」
言葉に反応してか、ぱっと突然離された鼻から流れ込んだ空気に反射的に噎せながら。ちら、としおんを一瞥するも案の定そこには頬を膨らませて全身で『不満です!』を表した彼女がいた。
普段はころころ変わる表情で、弾むような笑顔を浮かべていることの多い彼女の見せる久々の〝怒り〟の表情は。それはもう冷たく鋭く、不穏なものですらあった。
「……あー……今回はほんまにごめん……。しおんさん、あの……ちゃんと謝るからこっち向いて……?」
――その後しばらく、ご機嫌取りに奔走したのは言うまでもない。