望んでいいなら偶には

2023/04/10


へたりと力なく横になったまま、焦点の合わない視線をぼんやりと彷徨わせている彼女を見下ろして、ベッドへ膝を乗せながらちいさく笑った。
「ふふ、ぼんやりしちゃって……。大丈夫……って、聞くまでもないよねぇ♡」
ちいさく軋んだスプリングの音と同時、さらりとその丁子茶の髪をかき混ぜると、緩慢な動作で目線がこちらに向けられる。
「……大丈夫では……ない、です……。後半、もう……記憶曖昧、で……」
掠れた声で返された声は、ほんの少しばかり拗ねていた。わずかに眉を下げて薄く笑みを浮かべると、数度形の良い頭を宥めるように撫でる。微かに目を細めた表情から察するに、怒ってはいないようだ。
自分も相当温和な方だと思うのだが、彼女も相当だなぁと改めて噛み締める。相当な無茶と負担を強いた自覚は、俺にもある。ただでさえ昼過ぎから|俺《﹅》が帰ってくるまでの間、それこそ際限ない『俺』の欲求不満の相手をしていたのだ。普通ならそれだけで音を上げていてもおかしくない状態だったろう。帰宅したときの彼女の呂律の回らなさから言っても、『俺』がご丁寧に目に入るところに残していった避妊具の空箱からも、それは想像に難くない。
無意識のうちにそのまま何度も頭の上を往復していたようで、ふと気付けば久遠ちゃんの意識はうつらうつらと微睡の淵にあるようだった。
元々、随分呼吸は落ち着いてきていたものの、意識は曖昧な状態だったのだろう。蒸しタオルで身体を拭きながら、もう一枚のタオルを目元を覆うようにしてかけてやると、すぐに呼吸音が穏やかな寝息に変わった。
「あらら、寝ちゃったかぁ……」
それもそうだろうなと思いながらも、そっと前髪を掻き分けて額へ触れるだけの口付けを落とす。
「無理させてごめんね、いつもありがとう」
それからもう一度、慈しむように彼女の頭をそっと撫でた。

◇ ◆ ◇

「ん、んん……」
吐息とも声ともつかないような音が漏れたのと同時に微かに目蓋が震えて、わずかに持ち上がる。ぱしぱし、と何度か瞬きを繰り返しようやくその瞳が像を結んだ。
「……あれ、私……寝ちゃってました……?」
「ふふ、おはよう♡ 疲れたところに温めたタオルをかけたから、そのまま眠っちゃったみたい……♡」
眠っていたと言ってもせいぜい三十分程度だ。後処理をして服を着せ、布団の中に彼女を再度運んでからそれほど時間は経っていない。「まだ眠っててよかったのに」と言いながら手を伸ばす。すりと触れた彼女の頬は、まだ眠気が覚めきっていないのか温かかった。平時でも高めの体温をしているけれど、眠いときにもぽかぽかと子どものように温かくなる体温が、愛しくて。くすくすとちいさく笑みを溢すと、察したのかバツの悪い表情を浮かべてまた、ほんの少しばかり久遠ちゃんの頬が火照る。
「……千弘さん〰〰〰!」
不満げに上がった咎めるような響きを含んだ声に、「ごめんごめん」と笑って応じてぱっと手を離した。
ここで彼女の機嫌を損ねるのはいただけない。ころころと変わる表情どれもが好きだけれど、やっぱり一番好きなのは幸せを噛み締めるようにして笑ってくれる表情だから。
「どうする?もういい夜分だけど、このまま眠る?それとも温かい飲み物でも飲んで、ひと息つく?」
目を細めて恋人を見遣ると、思案するように視線をついと左下へ下げて「んー」とちいさく声を溢した。
「……目、覚めちゃったのでひと息入れます!」
そうと決まればと身体を起こした彼女の行動の早さに、もう一度ちいさく笑って俺は「大丈夫だよ」と頭をぽんと撫でる。
「ふふ、元気でよろしい♡ まだ身体しんどいでしょ、俺が淹れてくるからゆっくりしてて♡ ホットミルクでいいかな?」
「ん……、じゃあお言葉に甘えてゆっくりさせてもらいます♡ お砂糖なしでブランデー入りがいいです〜!」
「……もう、ちゃっかりしてるんだから。時間も時間だし……寝つきが良くなるようにお酒はほんのちょっとだけだよ?」
「はぁ〜い」
「ふふ、いいお返事♡ それじゃ、ちょっと待っててね♡」
ひらひらと手を振って、足早に台所へと向かった。

◇ ◆ ◇

マグカップを片手に戻ってみると、彼女はベッドの上に身体を起こして、何とも言えない微妙な表情を浮かべもぞもぞと身動ぎをしていた。顔を覗き込むようにしてみれば、彼女は気まずげな表情でこちらを見上げる。
「どうかした?久遠ちゃん」
「ぇ、ぅ……それはその……ですね……」
問いかけに反応するように、勢いよく顔が真っ赤に染まり、言葉もしどろもどろになった。途端に視線が泳いで、俺の目から逸れていく。わかりやすいなぁ、と喉奥で笑って「はい」とマグカップを手渡した。口の中でもごもごと「ありがとうございます……」と返答をして、久遠ちゃんは大人しくそれを受け取る。こくりとひと口飲み込んだ。俺が隣に腰掛けると、気まずげに視線を逸らしたまま、彼女は立て続けに何口かホットミルクを口にしてほうと息を吐いた。俺も微笑を浮かべたまま、同じようにマグカップに口をつける。
「……あの、ですね……。その、まだ身体……違和感あって……」
「ふふっ、だよね♡今日結局、一日中俺と『俺』とシてたんだもんね?」
「お尻まで違和感あるんですよ……!なんかむずむずして落ち着かないです……っ!」
紅潮や赤面という言葉ではやさしいほど赤く染まった顔で、唇を尖らせて彼女はそう言った。むう、と突き出された唇と、膨らませた頬で全力で不満を表してふいと顔を背けられてしまう。確かに無茶をさせてしまったのは俺だから、今回ばかりは反論できまい。既に致した回数が十数回を超えているのをわかっていながら、意識をトバしかけるほど満身創痍の彼女の返答を待たずにリハビリと称して挿入したのも事実ではある。
「えー、でもお尻はほら……久遠ちゃん自身が『俺』のを欲しがったんでしょ♡」
「うぅ〰〰、それはそう……なんですけど……!」
千弘さんだってしれっと3Pしてみたかったとか言ったじゃないですか、と涙目でこちらを見上げた彼女は消え入りそうな声で何事かを呟いた。耳を寄せると、しばし逡巡した様子を見せたあと「初めてだったのに……」と溢される。それに思わず俺はぱちくりと目を見開いて、じっとりんご顔のままの彼女を見下ろした。
「あれ、久遠ちゃん気にしてるのそこだったの?」
「えっ、イヤだったとかじゃないんですよ……!でもその、どんどん千弘さんじゃないとダメになってる気がして……ですね……」
その声は徐々にか細く、弱くなっていく。つられるようにこちらを見上げていた顔も、どんどん俯き加減になってしまう。伏せた彼女の顔を隠すように、絹糸のような髪が流れた。さらりと流れた髪の合間から顔と同じくらい赤く染まった耳が見える。首筋もほんのり赤く染まるほど、ただこれだけのことに照れてしまう、いつまで経っても初心な部分の消えない、可愛い恋人。
「あは、今さら気付いたの?これだけ毎日毎夜、俺が愛してるんだもん……♡俺以外の人で満足できると思ってた?」
「……っ!? そんなこと思ってませんけど……っ!」
慌てて顔を上げて、そんな戯れのような言葉を否定する彼女の頭をぽんとやさしく撫でた。
「ふふ、別にいいでしょ♡ 俺とずーっと一緒なんだもん、知ってると思うけど……俺、これでもまだ遠慮してるからね?」
「ま、まだ遠慮してるんですか……!?」
「言ったでしょ、俺結構底なしだよ……って♡ 今日みたいに遠慮なく求めさせてもらうの、割と遠慮してるんだから♡だからこそ俺がふたりっていうのもいいかもなぁ……って思ったんだけどね?」
交代で仕事ができるなら、彼女と一緒にいられる時間が増やせる。それにこうして触れ合える時間も増えるなら、俺の仕事が忙しくて彼女に寂しい思いをさせることもなければ、今回みたいに欲を我慢しすぎてドッペルゲンガーを産むこともなかっただろう。
「ふふっ、でも久遠ちゃんの負担を増やしちゃうことになっちゃうんだけどね……♡」
でも俺ふたりに思いっきり愛されてなんだかんだ平気なんだもん、やっぱり色んな意味で相性いいと思うなぁと笑う。快楽に弱くて、すぐに蕩けて融けてしまう彼女を見下ろすのは俺にとっての幸福だ。仕事でいくら女性を抱いたって、彼女相手であればいくらでも欲求が湧いてくる。求めても求めても足りなくて、一度求めるともっともっとと欲が湧いて止まらなくなってしまう。俺にとっての最大の甘露がキミだから。今日はあんなに求めた後だというのに、また熱が燻る感覚がする。
「ね……久遠ちゃん、またこうして思いっきりキミのこと求めてもいい……?」
中身の少なくなったマグカップをベッドサイドに置くと、彼女の眉間にキスを落として囁いた。すりすりと頬を寄せれば、きめ細かく滑らかな肌触りが伝わる。戯れに耳を食めば、びくりとその身体が震える。手に包まれたままのマグカップをそっと持つと、彼女は大人しくその手を離した。それは無言の肯定。
「……本当に俺に甘いんだから♡ 今日はいっぱいシちゃったから、もうちょっとだけイチャイチャして寝よーね♡」